血液サラサラ
私はこの言葉を好かない。
血液サラサラ
曖昧模糊とした響きですんなりと頭が受け入れてくれない言葉の一つだ。怪しい団体が好んで使用しそうなどうとでも解釈出来そうな響き。髪がサラサラで滑らかな指通り。という表現ならば疑問も何も抱かない。では血液がサラサラだと何が良いのか。調べても何に対して効果的なのか一向に理解出来ない。
あなたの血液はドロドロなんですよ!
そう言われてしまうと筆舌に尽くし難い恐ろしい疾病に平穏な日常を台無しにされて仕舞うのではないかと不安になってしまう。ああ、私もサラサラに成りたいと。
このありがたい果物を食べると良いのですよ、このお水を飲むとサラサラになるのです。
という流れを容易に想像出来てしまうから顔を顰めたくなるんだろうなあ。健康を維持しようと努めるのは悪い事と考えてはいないけれど。
血液サラサラ
曖昧模糊とした響きですんなりと頭が受け入れてくれない言葉の一つだ。怪しい団体が好んで使用しそうなどうとでも解釈出来そうな響き。髪がサラサラで滑らかな指通り。という表現ならば疑問も何も抱かない。では血液がサラサラだと何が良いのか。調べても何に対して効果的なのか一向に理解出来ない。
あなたの血液はドロドロなんですよ!
そう言われてしまうと筆舌に尽くし難い恐ろしい疾病に平穏な日常を台無しにされて仕舞うのではないかと不安になってしまう。ああ、私もサラサラに成りたいと。
このありがたい果物を食べると良いのですよ、このお水を飲むとサラサラになるのです。
という流れを容易に想像出来てしまうから顔を顰めたくなるんだろうなあ。健康を維持しようと努めるのは悪い事と考えてはいないけれど。
本の置き場所
週末は部屋の片づけを少しやった。本があちこちに四散していて困ったからだ。とはいえ片付けと言うより積み上げただけでちっとも片付いていない。年々本が増える。技術書はリファレンス的に買うものが多い為、全てを読む事があまりない。必要な時にページをめくってそれ以外は邪魔なのだ。これをデータ化したらどうだろう、と考えたが全てのページをスキャンというのも現実的じゃない。かと言って捨てる訳にもいかない。悩ましいものだ。
本の置き場所に悩みつつも『生体のゆらぎとリズム』という本を買ったが統計学の予備知識が無くても理解し易いかなと思いつつ読んでいる。まだ触りを読んだ程度だが溢れる数式に些かの拒絶反応を感じながら、という状態には至っていない。根っからの理数系であれば数式主体の方が理解する上で効率いいのは分かるけれど、そうでない読者に配慮しているのだろうか。私にとってはありがたい。
なぜこの本に興味を持ったのか。
人間が立ち上がっている状態の時、重心は不動ではないだろうと思ったからだ。ある範囲内で揺れている筈だ。ある範囲を越えた時、バランスを保つように姿勢制御が働く。或いは歩行のように何らか運動を開始すると考えている。
何を知りたいのか。
1.立つとはどういう事か
2.立ち上がってその姿勢を維持している際の自然な動き
3.歩行に移る際の動き
4.歩行中の脚の動きとその周期性
5.歩行中の上半身の動き
分かるようで全く分からない。歩行の際、遊脚が着地する前に予め着地点を決めておけば何となく歩行するように見えるだろうがこれでは不足しているはずだ。これしかない、という決定打は今のところ存在しないから仮説の検証を繰り返してベストなものを模索するしかないだろう。
難しいなあ。
本の置き場所に悩みつつも『生体のゆらぎとリズム』という本を買ったが統計学の予備知識が無くても理解し易いかなと思いつつ読んでいる。まだ触りを読んだ程度だが溢れる数式に些かの拒絶反応を感じながら、という状態には至っていない。根っからの理数系であれば数式主体の方が理解する上で効率いいのは分かるけれど、そうでない読者に配慮しているのだろうか。私にとってはありがたい。
なぜこの本に興味を持ったのか。
人間が立ち上がっている状態の時、重心は不動ではないだろうと思ったからだ。ある範囲内で揺れている筈だ。ある範囲を越えた時、バランスを保つように姿勢制御が働く。或いは歩行のように何らか運動を開始すると考えている。
何を知りたいのか。
1.立つとはどういう事か
2.立ち上がってその姿勢を維持している際の自然な動き
3.歩行に移る際の動き
4.歩行中の脚の動きとその周期性
5.歩行中の上半身の動き
分かるようで全く分からない。歩行の際、遊脚が着地する前に予め着地点を決めておけば何となく歩行するように見えるだろうがこれでは不足しているはずだ。これしかない、という決定打は今のところ存在しないから仮説の検証を繰り返してベストなものを模索するしかないだろう。
難しいなあ。
テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記
パスタ
ダンテ先生がパスタを食べていたのかどうか、気になったので調査した。
wikiには下記のような記述があった。(これはあちこちのサイトで引用されているようだ。)
現在と同じような食べ方をしている事を記録している最古の書物は1224年8月2日付けの、ジェノヴァの公正証書(ベルガモの医師ルッジェーノが患者の羊毛商人ボッソにあてた文章)である。
ただし現代のような乾燥パスタではなかったようだ。公正証書の中身を見たかったが全くヒットしない。でもダンテ先生の生きた時代にパスタは存在していたようだ。先生に現代のパスタを食べさせてやったら感極まって卒倒するだろうか。
おまけ:様々な形のパスタ。
関係ないがスーパーマリオのマリオはイタリア系という説がある。
wikiには下記のような記述があった。(これはあちこちのサイトで引用されているようだ。)
現在と同じような食べ方をしている事を記録している最古の書物は1224年8月2日付けの、ジェノヴァの公正証書(ベルガモの医師ルッジェーノが患者の羊毛商人ボッソにあてた文章)である。
ただし現代のような乾燥パスタではなかったようだ。公正証書の中身を見たかったが全くヒットしない。でもダンテ先生の生きた時代にパスタは存在していたようだ。先生に現代のパスタを食べさせてやったら感極まって卒倒するだろうか。
おまけ:様々な形のパスタ。
関係ないがスーパーマリオのマリオはイタリア系という説がある。
TAG : パスタ
私に良い考えがある
週末、『幼年期の終り』を往路に。全人類が圧倒的なテクノロジーの異星人を前に隷属し、宗教や国家、人類が今まで築いてきたものに新たなパラダイムが訪れる。
異星人の支配は平和的だが何の目的があるのかまるで解らない。巨大な宇宙船が各国の主要都市上空に鎮座し続けるが彼等自身は姿を全く見せない。絵に描いたような非道な行為をするでもない。寧ろ平和であるように人類に働きかける。
インディペンデンスデイであれば大統領閣下自らが出撃して勝利を収める構図になるのだが。勿論私自身もI.D.のような物語を求めていない。第二部を読み終える頃に下車。
そして愛しいあの子とデエトした。湿気が少なく過ごし易い。普段暮らす街とは異なるから気候も違えば街並みも違うから当たり前か。夢と現実の間を行き来するような、大げさな表現すると生と死の間を行き来するような感がある。どちらが生でどちらが死なのか解らないが。前途洋々な彼女を見ていると不意に抱き締めてやりたくなる。
翌日は映画。トランスフォーマーリベンジ。私にはコンボイという呼び名が定着してしまっていてオプティマス・プライムというのは馴染めない。従兄弟が夢中になって見ていたテレビアニメの記憶が残っているからだ。
「私に良い考えがある。」
と言いつつ作戦失敗するコンボイ。
「この愚か者めが!」
いつも部下を叱責しながらも案外寛容なのか部下を見離さないメガトロン。
そして雑な変形と馴染めない色彩センス。これが私のトランスフォーマ像だ。
映画になってメカメカしくなってスピード感があって子供時代に見たら感激するんだろうなと思った。人間に化けるデストロンじゃなくてディセプティコンが居たが原作にそんなの居たのだろうか。フォールンなる存在も知らなかった。メガトロンが社長ならフォールンは創始者で会長みたいなもんかな。とりあえず無邪気な勧善懲悪モノだった。
二日目は彼女の体調が思わしくなくて気掛かりだったな。今度は楽もう。
帰りは再び『幼年期の終り』、そして『たったひとつの冴えたやりかた』、『神曲 地獄篇』へ。『神曲』って重苦しい話なのかと思い込んでいたがまるで違う。(まだ前半部分しか読んでいない。)
自身を主人公として登場させちゃう自意識過剰なダンテ先生。
ウェルギリウス大先生に駄々こねるダンテ先生。
過去の詩聖達に堂々と自身の名を連ねちゃうダンテ先生。
現実世界の鬱屈を自身の作中でささやかながら復讐しちゃうダンテ先生。
悲恋の話に感極まって卒倒しちゃうダンテ先生。
事ある度に先生は大げさな反応を示して読者を楽しませてくれる。これは喜劇を鑑賞しているようだ。いや喜劇に違いない。生前の先生はパスタ茹でていたのだろうか。先生が居た頃にはピッツアあったのかなと、どうでもいい事をついつい考えさせられる作品だ。
しかし今日も具合悪いし心配だな・・・。
異星人の支配は平和的だが何の目的があるのかまるで解らない。巨大な宇宙船が各国の主要都市上空に鎮座し続けるが彼等自身は姿を全く見せない。絵に描いたような非道な行為をするでもない。寧ろ平和であるように人類に働きかける。
インディペンデンスデイであれば大統領閣下自らが出撃して勝利を収める構図になるのだが。勿論私自身もI.D.のような物語を求めていない。第二部を読み終える頃に下車。
そして愛しいあの子とデエトした。湿気が少なく過ごし易い。普段暮らす街とは異なるから気候も違えば街並みも違うから当たり前か。夢と現実の間を行き来するような、大げさな表現すると生と死の間を行き来するような感がある。どちらが生でどちらが死なのか解らないが。前途洋々な彼女を見ていると不意に抱き締めてやりたくなる。
翌日は映画。トランスフォーマーリベンジ。私にはコンボイという呼び名が定着してしまっていてオプティマス・プライムというのは馴染めない。従兄弟が夢中になって見ていたテレビアニメの記憶が残っているからだ。
「私に良い考えがある。」
と言いつつ作戦失敗するコンボイ。
「この愚か者めが!」
いつも部下を叱責しながらも案外寛容なのか部下を見離さないメガトロン。
そして雑な変形と馴染めない色彩センス。これが私のトランスフォーマ像だ。
映画になってメカメカしくなってスピード感があって子供時代に見たら感激するんだろうなと思った。人間に化けるデストロンじゃなくてディセプティコンが居たが原作にそんなの居たのだろうか。フォールンなる存在も知らなかった。メガトロンが社長ならフォールンは創始者で会長みたいなもんかな。とりあえず無邪気な勧善懲悪モノだった。
二日目は彼女の体調が思わしくなくて気掛かりだったな。今度は楽もう。
帰りは再び『幼年期の終り』、そして『たったひとつの冴えたやりかた』、『神曲 地獄篇』へ。『神曲』って重苦しい話なのかと思い込んでいたがまるで違う。(まだ前半部分しか読んでいない。)
自身を主人公として登場させちゃう自意識過剰なダンテ先生。
ウェルギリウス大先生に駄々こねるダンテ先生。
過去の詩聖達に堂々と自身の名を連ねちゃうダンテ先生。
現実世界の鬱屈を自身の作中でささやかながら復讐しちゃうダンテ先生。
悲恋の話に感極まって卒倒しちゃうダンテ先生。
事ある度に先生は大げさな反応を示して読者を楽しませてくれる。これは喜劇を鑑賞しているようだ。いや喜劇に違いない。生前の先生はパスタ茹でていたのだろうか。先生が居た頃にはピッツアあったのかなと、どうでもいい事をついつい考えさせられる作品だ。
しかし今日も具合悪いし心配だな・・・。
本屋に寄り道
本屋に寄った。少年の心を失わないナイスなおじさまのセレクション。
『たったひとつの冴えたやりかた』 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 訳:朝倉久志
『幼年期の終り』 アーサー・C・クラーク 訳:福島正実
『星を継ぐもの』 ジェイムズ・P・ホーガン 訳:池央耿
『ニューロマンサー』 ウィリアム・ギブスン 訳:黒丸尚
『神曲 地獄篇』 ダンテ 訳:平川祐弘
共通項は名作と呼ばれるところか?何年か前から気になっていたが読んでいないものばかり。
神曲なんて20年以上前から気になっている。(文章にして驚愕した。20年!)
パラパラと神曲のページに目を通したがやはり訳注が多数ある。私は訳注があると次にどこを読もうか悩んでしまう癖がある。可及的速やかに訳注へ目を通すか。これまでの軽やかな読書の流れを殺さず読み進んで訳注は後ほどの楽しみにするか。後者を選択すると、はてどこの訳注だったのかと不甲斐ない記憶中枢を恨めしく感じる。前者を選択しても、訳注に満足した後に本文をどこまで読み進んだのかと狼狽し、その不甲斐なさを床に就いてから思い出して枕を濡らす羽目になるのだ。何れメメントの主人公の如く体にページ数を刻むようになってしまわないかと心配で心配で。
いやいや、やはりさような古典ほど原語だよ原語。
と不敵に笑みを浮かべて原語至上主義者になってみたいがここでも不甲斐なさを遺憾無く発揮して日本語訳なのだ。
さてここでなぜ週末に文庫本を何冊も買い込んだのか。はたと疑念を抱いた方々に。
逢瀬を楽しむ行為に勤しむのだ。逢瀬を楽しむ為には長い旅路があり、それが読書に繋がるという事。ひょっとしたら道中寝て過ごすという可能性も否定出来ないが。
追伸:このエントリのジャンルとテーマを選択していたら『ペニスとヴァギナ』というものを発見した。日記として体を成すほど体の部位について語るとは恐れ入ると共に微かな憧憬が入り混じった。谷川俊太郎の『なんでもおまんこ』的なノリなのだろうか。だとしたら爽快だな。
"そこに咲いてるその花とだってやりてえよ
形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ
花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ
あれだけ入れるんじゃねえよお
ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお
どこ行くと思う?
わかるはずねえだろそんなこと"
『たったひとつの冴えたやりかた』 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 訳:朝倉久志
『幼年期の終り』 アーサー・C・クラーク 訳:福島正実
『星を継ぐもの』 ジェイムズ・P・ホーガン 訳:池央耿
『ニューロマンサー』 ウィリアム・ギブスン 訳:黒丸尚
『神曲 地獄篇』 ダンテ 訳:平川祐弘
共通項は名作と呼ばれるところか?何年か前から気になっていたが読んでいないものばかり。
神曲なんて20年以上前から気になっている。(文章にして驚愕した。20年!)
パラパラと神曲のページに目を通したがやはり訳注が多数ある。私は訳注があると次にどこを読もうか悩んでしまう癖がある。可及的速やかに訳注へ目を通すか。これまでの軽やかな読書の流れを殺さず読み進んで訳注は後ほどの楽しみにするか。後者を選択すると、はてどこの訳注だったのかと不甲斐ない記憶中枢を恨めしく感じる。前者を選択しても、訳注に満足した後に本文をどこまで読み進んだのかと狼狽し、その不甲斐なさを床に就いてから思い出して枕を濡らす羽目になるのだ。何れメメントの主人公の如く体にページ数を刻むようになってしまわないかと心配で心配で。
いやいや、やはりさような古典ほど原語だよ原語。
と不敵に笑みを浮かべて原語至上主義者になってみたいがここでも不甲斐なさを遺憾無く発揮して日本語訳なのだ。
さてここでなぜ週末に文庫本を何冊も買い込んだのか。はたと疑念を抱いた方々に。
逢瀬を楽しむ行為に勤しむのだ。逢瀬を楽しむ為には長い旅路があり、それが読書に繋がるという事。ひょっとしたら道中寝て過ごすという可能性も否定出来ないが。
追伸:このエントリのジャンルとテーマを選択していたら『ペニスとヴァギナ』というものを発見した。日記として体を成すほど体の部位について語るとは恐れ入ると共に微かな憧憬が入り混じった。谷川俊太郎の『なんでもおまんこ』的なノリなのだろうか。だとしたら爽快だな。
"そこに咲いてるその花とだってやりてえよ
形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ
花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ
あれだけ入れるんじゃねえよお
ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお
どこ行くと思う?
わかるはずねえだろそんなこと"




